Thursday, May 16, 2019

母の日に、いま私が出来る事。

5月12日母の日。
目覚めたときに私が一番最初に思ったことは、仙台の養護病院にいる母の事だった。
去年の暮、私と娘は久々に過ごす日本での母との年の瀬を楽しみに里帰りしたが、認知症を患っている母は私達とささやかな再会を果たした後、年越しを待たずに、ついに介護付きの病院に入院してしまった。

親孝行,したいときには親は無し。

両親は私が歌手になることに賛成ではなかったが、米国バークリーにどうしても留学したいと懇願した時には、母が生協で働いたお金を投げうって支えてくれた。
私も母も気が強く、何度も衝突してお互いに傷つけあうような言葉も吐いた。
母は、ドライな性格で愛情表現が苦手。その為、私はハグしてもらったり、手をつないでもらった思い出が少なく。寂しい思いもした。
それでも、、、いざという時には自分の身を投げ出して、家族や親せきを守ろうとする深い愛情の持ち主であることはわかっていた。だから、母の事が大好きで、いつも母から抱きしめてもらいたかった。
皮肉なことに、認知症を患ったがゆえに、母は厳しい人から優しい人に変わり、ハグしたりほっぺたを触ってくれる優しいおばあちゃんに変わった。

外国で暮らす日本人で、日本にいる家族に対して何らかの罪の意識をもって暮らしている人は私だけではないだろう。故郷で母の面倒を見てくれている姉と妹には心から感謝をしている。けれども、私達が異国でできる親孝行もあるはずだと信じている。

老人ホームでの母の日コンサート。経験になるだろうとはじめて娘を共演させた。今現実に、母と私が出会うことができなくても、私にできる使命はあるはずだ。
老人ホームのささやかなイベント会場に現れた、車いすに乗られたご老人の為に一曲一曲、娘と二人、心を込めて歌った。時には手を取りながら、時には笑えないジョークを交えて。。。日本語で歌う”さくら””上を向いて歩こう。は大変喜ばれた。ご老人の方々の表情が変わっていく。うなだれていた一人の男性が女性の手を取ってダンスを踊りだした。またある人は、マラカスやエッグシェーカーを振りだした。〈リズム滅茶苦茶だったけど。笑)そして、コンサートを終えた後、多くのご老人から握手や、おしゃべりを求められ、コンサートは大成功に終わった。

森進一の”おふくろさん”の歌詞が心に浮かんだ。
”お前もいつかは世の中の、傘になれよと教えてくれた。あなたの真実。忘れはしない”
私も誰かの傘になれただろうか?
毎日、自問自答しながら生きている。それが唯一、私にできる親孝行だと信じている。

Wednesday, April 10, 2019

ジャズすんがーはつらいよ!

皆様、こんにちは!
ジャズすんがーの波乱万丈の日常を綴ってみたくて
ブログを始めました! ちょっとドキドキしています。ジャズシンガーだったら素敵な日常を過ごさなきゃいけないのかもしれないけど、現実はね~~ジャズシンガーとジャズすんがーの狭間でサバイバルの日々です!!
わたしが歌を始めたのは、19歳の時…仙台の高校を卒業して、会社勤めをしながら夜は
ダンスホールで歌い始めました。その時のレパートリーは約5曲!!
”ただ若くてきれい”(キレイはもちろん冗談!!!)というだけで雇ってもらい
毎日4ステージこなして給料は8万円でした。当時のバンマス、バンドのメンバーの方々に本当にかわいがっていただき、色んなことを教えていただき本当に感謝しています。

当時の私は夢溢れて、40代、50代になったらどんだけすごい、歌手になっているんだろうと想像してましたが、おっとどっこい!! 50代半ばすぎても修業は続いています。それどころか、やればやるほど自分の無力さに打ちひしがれる日々。芸術家はみんな、これでいいと思ったら終わりなんだろうな…音楽を聴けば聞くほどやりたい曲は増え
やりたいことも増え、CDも譜面も,歳とともにしわも化粧品も増えちゃって、ジャズすんがーには断捨離は絶対無理!と頭を抱えています。で、とにかく毎日情報に埋没されないよう、優先順位をちゃんつけて一個一個とこなしていかねばと思っています。
というわけで、今日は今年の目標だったブログを取りあえず立ち上げました。
皆様、少しは笑っていただけましたでしょうか?また面白い題材を見つけてアップしますね。
ジャズ界のきみまろより。